こんにちは!8代目のゆうき(若干21才)です!
~現在の時刻 2019/06/25 17時45分~
清々しいくらいの
晴れですね!!!
心地よい風が~、気持ちいいです笑
さて、
本日は、僕の往年の疑問にお付き合いください(__)
※往年・・・過ぎ去った年。昔。
早速ですがみなさん!
呉服って何だと思いますか???
耳にはするけど意味がわからない言葉ランキング3000位に入ってきそうなこちらの言葉。
着物と同意の別称なのか、、、※学校=校舎
服を丁寧に言った『 御服 → 呉服 』なのか、、、※挨拶=ご挨拶
うむむ、、、腑に落ちませんね。
という事で、
徹底解明していきます。 レッツゴー 三(/・ω・)/
まず、僕は幼いころから着物に良く触れてきました。
なぜなら呉服屋の息子だからです。
単純な話ですね。笑
中学1年生の男の子くらい単純です。
友達には、意味も分からず呉服屋の息子と言ったりしておりましたが
みんな口を揃えて、”なにそれ??? ”です。
国民の総意ですかね笑
皆様、僕が今から解明しますのでご期待ください!
※結局のところ全て諸説なので、一番可能性があるものを選出しました!!!ズッコケ
早くしろよって感じですね。行きましょう↓m(__)m
では、
着物の歴史をさかのぼってみましょう。。。
どこまでさかのぼるのか、
そうです
三国志時代(現:中国)です。
残念ながら日本じゃありません笑笑
三国志は聞き馴染みありますよね!
あのかっこいいやつです。男のロマンです('ω')ノ
日本で言うと、卑弥呼さまがいた時代ですね!
中学・高校の時の日本史は、この範囲でしっかり挫折しました✌。。。泣(教科書の70ページ目あたり)
当時の中国と日本は物流が盛んで
中国は絹の一大産地だったので、絹も一緒に日本へホホイッと入ってきたー!!!
ってなったんです。
『シルクロード』って聞いたことあると思うんですけど、これも当時あったもので
中国と西洋を結ぶ交易路の通称であります。
このシルクロードを使って、絹を世界中に売りまわって荒稼ぎしていたんですね~笑
そのお金が戦争の軍事費用に使われて、沢山の人が亡くなったのかなって考えると、、、シクシク(´;ω;`)
話は戻って、
結論です。。。
そもそも、三国志は魏・呉・蜀の三つで構成されています。
察しが良い方はお気づきですかね、
そうです。
呉がいました!!!!!!!!!!
おそらく
呉が絹の一大産地で、その生地や織物が日本に入ってきた
↓↓↓
呉から入った服
↓↓↓
呉の服
↓↓↓
呉服
諸説あり!!!!!!!!!!!です笑
スッキリしましたね(>_<)
今日はぐっすり眠れそうです。。。。